「争続」はお金持ちの家で起きるものだと思っています。私はそんなに財産を持っていないから、「争続」なんて関係ありませんよね。

 「遺産分割事件の財産額(平成25年)」という統計資料があります。家庭裁判所に調停なり審判という形で持ち込まれた事件、つまり「争続」になってしまった相続の財産額はどれぐらいであったかという割合を示すデータですが、これによると、財産額1,000万円以下の事件と1,000万円超5,000万円以下の事件を足すと75%になります。つまり、揉めた相続のうちの4分の3は、財産額が5,000万円以下ということです。

 この5,000万円という数字は、一見すると大きい額ではないかと思われるかもしれませんが、首都圏で土地つきの一戸建てを持っていて、さらに2,000万円の貯蓄(70歳以上の世帯の平均貯蓄残高)を持っていれば、この程度の財産額にはなります。

 ですから、財産額5,000万円というのはごく普通の家庭であると考えた方がよいでしょう。つまり、「争続」の4分の3はごく普通の家庭で起きているのが実情です。

 また、現行民法における法定相続の基本的な考え方は「平等」です。しかし、「平等」がイコール「公平」であると言えるでしょうか。

 聖書に出ている有名な話で「放蕩息子のたとえ」というものがあります。この話では、父親によく仕えた兄も、放蕩の限りを尽くした弟も、同じように父親から財産をもらっています。だから、兄としては不満なわけです。そして、身上を食いつぶして帰ってきた弟を父親が温かく迎え入れたとき、兄は怒りを爆発させます。

 現行の民法のもとではこれと同じことが起こり得ます。要するに、親孝行であろうと、親不孝であろうと、権利としては同じです。しかし、それで本当に公平と言えるのでしょうかという話になるわけです。

 「争続」は額の問題ではないこと、そして不公平感が発端になること、この2点を重要なポイントとして認識しておくべきでしょう。