余計な一言

某同業者がブログで、報酬の後払いを容認するか否かについて、顧客との信頼関係とは、報酬を先にいただいて責任を持って仕事をすることであるとした上で、信頼関係があるから報酬はいつでもいいというのは相手を信頼していない証拠であり、報酬の後払いを阿呆呼ばわりまでしていました。

私自身は、2回目以降のご依頼やよく知る間柄の方からのご依頼については業務完了後に報酬をいただくことがありますから、それを阿呆呼ばわりされるのは、率直に言って気分のよいものではありません。

そのような個人的な感情は置いておくとしても、報酬をどの時点でお願いするかというのは、悩ましい部分もありますが、結局のところは事業主なり事務所の経営判断の問題であって、どちらが正しいとか正しくないという話でもないし、批判の対象にするような事柄でもないと思っています。ましてや阿呆呼ばわりなんて・・・

この同業者、別の記事では、ミスコピーなどの裏紙を再利用するか否かについて、トナーが付着している裏紙は新品の用紙よりも静電気が起こりやすく、紙詰まりの原因となる等の理由を挙げて「自分は絶対に裏紙を使わない」とした上で、裏紙の使用は長期的にはコストアップと効率の低下につながると指摘しました。説得力のある見解です。

ところが、ここまででとどめておけばよいものを、返す刀で、「裏紙がいっぱい積み上げてある事務所って、何かねぇ。そんなにあんたの事務所はミスプリントが多いのかよ」という余計な一言が。必ずしも裏紙=ミスプリントというわけでもないでしょうに。

自らの見解を述べ、理由を挙げてその正当性を主張するのは大いに結構ですが、だからといって異なる見解をあげつらったり腐したりする必要はない。せっかくいいことを言っていても、けなされる側からすれば素直に受け入れられないし、「結局この人は自分に自信がないのね」と思われて、かえって損をするのではないか。だとしたら、もったいないことです。

 

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