追悼サヴァリッシュ

4月20日に行われたN響定期公演のプログラムは、ヴェルディの大作「レクイエム」でした。当日、NHKホールの入口には、桂冠名誉指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュの写真とともに、「本日の演奏をサヴァリッシュ氏に捧げます」という告知がありました。サヴァリッシュは、この演奏会の2カ月前、2月22日に89年の生涯を終えていたのでした。

サヴァリッシュは、文字どおり「N響の育ての親」でした。初めてN響を指揮したのは1964年。以後、最後の来日となった2004年まで40年の長きにわたり、N響の指揮台に立ち続けました。

1923年ミュンヘン生まれのサヴァリッシュは、第2次大戦後から本格的に指揮活動を始め、1957年には当時の史上最年少でバイロイト音楽祭に登場しました。ウィーン交響楽団の首席指揮者、ハンブルク国立歌劇場の音楽総監督などを歴任した後、1971年にバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任し、92年までその地位にありました。1993年には米国の名門、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に招かれ、2002年まで務めています。まさに20世紀を代表する名指揮者と言えるでしょう。

そのような大物指揮者が毎年のように我が国を訪れ、N響の指揮台に立ち続けたこと自体、奇跡的と言える出来事だったと思います。1973年のNHKホールのこけら落とし、1986年の第1000回定期公演、2001年の創立75周年記念公演など、N響の節目となる演奏会はすべてサヴァリッシュが指揮していることは、彼とN響の絆の深さを示すものでしょう。

サヴァリッシュのリハーサルは効率的で、予定時間をオーバーすることはほとんどなかったものの、密度は非常に濃く、終わったときには楽団員たちは疲れ果てていたそうです。鮮やかなバトンテクニックの持ち主で、演奏会場やテレビで彼の指揮ぶりを見るたびに、「どうしてあんなに細かく振ることができるのか」と不思議に思ったものです。サヴァリッシュは、一流の芸術家であると同時に一流のトレーナーという稀有な存在でした。N響がこのような人物と再びめぐり会うことは、恐らくないでしょうね。

 

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